北十字とプリオシン海岸

本や映画やアート感想

別れの切なさ/高野文子『黄色い本』

入社以来ずっとお世話になった大好きだった先輩(男性)が違う部署に異動となり、人知れず大泣きしております。仕事内容なんて本当にどうでもいいから、彼の側にいたかったのですが、当の本人はわたしの気持ちなど知らないことでしょう。「寂しいなんて言って、いつでも口ばっかりじゃん」と笑われてお別れしたいので、送別会では泣かないと決めています。なんだかすごい気分がaiko

黄色い本 (KCデラックス アフタヌーン)

黄色い本 (KCデラックス アフタヌーン)

 

 高野文子『ドミトリーともきんす』が昨年、各所で話題になりましたが、そのタイミングで掘り起こされた過去の傑作『黄色い本』を、先日から読み始めました。

商品説明
寡作ながら時代のはやりすたりに流されない漫画を描き続ける、高野文子の4冊目の短編集。モダンで柔軟な絵柄と、ユーモラスかつ静謐(せいひつ)な描写と、高度で緻密な演出。これらが絶妙なバランスで同居する彼女の漫画の中には、さまざまな驚きと発見が隠されている。
たとえばロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を題材にした表題作は、読書の醍醐味そのものを再発見させてくれる。主人公の女学生は、流れていく日々の生活の中で『チボー家の人々』をゆっくりと読破する。極端に言えばただそれだけの物語。しかし、だからこそ『黄色い本』には、本を読む習慣のある人間にとってたまらない感動が詰まっている。いい本に出合い、その世界の中に没入して読みふけり、ある種のせつなさと共に読み終える。この一連の流れの中で抱く読者の複雑な気持ちが、さりげないあの手この手によって見事に再現されてゆく様の、なんとみずみずしく美しいことか。

紹介されている通り、主人公の女学生が日々『チボー家の人々』を読む、というそれだけの物語なのですが、本の文字がコマいっぱいに広がり、主人公の視点で一緒に本を読んでいるような感覚になります。

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写メったらモアレがひどい…。

彼女は『チボー家の人々』の世界にのめり込みます。時々主人公のジャックが幻想として彼女の目の前に現れては二人で会話をしたり、革命活動の仲間たちと議論を交わす夢を見たり、現実の友達にうっかり文語の言葉遣いが出てしまったり(ちなみに主人公はじめ登場人物は全員が新潟弁)、といった具合。現実世界では、彼女をはじめみんな進学するか、就職するかの大事な時期というのに、おかまいなく読書に耽ります。そういう経験は、読書が好きな人なら誰にでもあるはず。そういえばわたしは高校三年生の受験期に宮沢賢治の『春と修羅』にはまりすぎて、脳内でずっと「蠕虫舞手(アンネリダタンツエーリン)」*1という詩を暗唱していました…懐かしい。

最終的に彼女は『チボー家の人々』とお別れをしないといけないのだけど、そのお別れのシーンがたいへんに切ない。

ジャック 家出をしたあなたがマルセイユの街を 泣きそうになりながら歩いていたときわたしがそのすぐ後を歩いていたのを知っていましたか?

メーゾン・ラフィットの小径では 菩提樹の陰から祈るような思いでふたりのやりとりを聴いていました…(中略)

いつも一緒でした たいがいは夜 読んでないときでさえ――

彼女がどれほどジャック・チボーに寄り添って読書をしていたのかが分かるラスト。幻想の中でジャックが最後に「いつでも来てくれたまえ メーゾン・ラフィットへ」と告げるのですが、心から愛した本(というよりもその世界)との別れがいかに惜しみがたいものであるかが、わずか1~2ページに詰まっています。すべてはひとりの少女の読書体験に過ぎないのに。

 

何だって別れはつらいものです。心に寄り添った相手なら、なおさら。別に先輩とは、仕事以外に何の関係もありませんでしたけども。仕事の中で培われた信頼関係があり、思い出もあります。何より新入社員の時からお世話になった人だもの…。寂しさとつらさに泣きながらも、『黄色い本』の主人公が前向きにお別れしたのと同様に、わたしも気持ちに区切りをつけねば、と励ます夜。

 

ところでスーパーどうでも良い余談なのですが、わたしが過去にテ●プリのBL同人にはまっていた時代に、今はもう百合もしくは少女漫画家として有名なさかもと麻乃が、おそらくは『黄色い本』に影響されたと思われる塚不二本を描かれていたことがあって、もうそれが最高に好きでした。微妙な年齢の、微妙な立場のふたりが、自分たちが無力な子どもであると知りながら、どうやって自分たちの関係に区切りをつけるべきか、と悩むお話。時々、『ライ麦畑でつかまえて』の引用が『黄色い本』の中の『チボー家の人々』のごとく張り巡らされて、とても印象深い。これほどにセンチメンタルで詩的な物語を、少女漫画でもまた描いて欲しい…!

Hz/ヘルツ(さかもと麻乃)「リプレイ」 - まんだらけ 通信販売

*1:

春と修羅』所収 以下、青空文庫より一部を引用。

蠕虫舞手(アンネリダタンツエーリン)

羽むしの死骸
いちゐのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
 (ナチラナトラのひいさまは
  いまみづ底のみかげのうへに
  黄いろなかげとおふたりで
  せつかくをどつてゐられます
  いゝえ けれども すぐでせう
  まもなく浮いておいででせう)
赤い蠕虫舞手(アンネリダタンツエーリン)は
とがつた二つの耳をもち
燐光珊瑚の環節に
正しく飾る真珠のぼたん
くるりくるりと廻つてゐます
 (えゝ 8エイト γガムマア eイー 6スイツクス αアルフア
  ことにもアラベスクの飾り文字)

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