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雑記/李白「月下独酌」

明日から週末にかけて天気が悪くなると聞き、慌てて千鳥ケ淵の桜ライトアップに走りました。桜を見ずして春が来たとはいえまい…!

真ん中やや右上辺り、桜の花びらに混じって一目でそれとは分かりませんが、月です。欠けた月。川面に映る桜と、月と、とくれば、西行の有名な和歌「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」が連想されますが、大学時代にクズながら専攻していたのは漢文だったこともあり、ひとり酒を飲みながら見る月に思い浮かぶのは、漢文学生にとって王道の李白・五言古詩の「月下独酌」。

李白といえば、国語の教科書でもおなじみ。中国唐代、特に盛唐と呼ばれる8世紀に、杜甫と並んで中国史上とくに高名な詩人で、杜甫が“詩聖”と呼ばれていたのに対し、彼は“詩仙”と呼ばれました。お酒が大好きで、のびやかで奔放な詩を数々と生み出しておいます。「月下独酌」もその一つ。

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花間一壼酒 獨酌無相親
舉杯邀明月 對影成三人
月既不解飮 影徒隨我身
暫伴月將影 行樂須及春
我歌月徘徊 我舞影零亂
醒時同交歡 醉後各分散
永結無情遊 相期遥雲漢

花の間で酒壷ひとつをかかえ、友もいないので、独りで酒を飲む。
杯をあげて明月をむかえ、自分の影法師も数に入れると、三人の仲間が出来た。
しかし月はもともと飲むことを解しない。影はただ、わたしが動くにつれて動くだけだ。
だがまあ、月と影とをお相伴させて、楽しみをぞんぶん味うのは、まさに春のうちにかぎる。
わたしが歌うと月もさまよい、わたしが踊ると影もふらふら踊り出す。

正気のうちは、こうしていっしょによろこびあっているが、めいていしたあとは、ばらばらになってしまう。
しかし、月と影とわたしの三人は、人間ばなれのした遊び仲間のちぎりを永久にむすぶ。
落合う約束の場所は天の川のはるか彼方である。

(武部利男「中国詩人選集・李白」)

科挙も受けずに推薦で官人となった彼は、生涯、大好きな酒を飲み、詩を読みました。最期は船上で酔っぱらっている最中に、水面に映る月をつかまえようとして溺死したそうです。

酔狂にしろ、寝るときの夢にしろ、はたまた薬にしろ、夢と現実とが交錯する世界観は大好きです。まさに幻想。

ところで、中国文学には天、あるいは鬼神という概念があり、「鬼神」という漢字からは、日本人の感覚ではまるで地獄の王様のような印象を受けますが、幽霊や妖怪や神といった、人間以外の未知なる存在すべてを包括した言葉です。「天」の概念については、学生時代の論文のテーマにしたこともありましたが、私には奥深すぎて、その一部にさえ触れられなかったなあ。

今、再び中国詩の幻想世界に触れて、心をはるか遠くの長安へ、時空を超えて飛ばしてゆきたいものです。

 

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