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わたしが全く馴染めなかった理由/「かないくん展」感想

日曜日にパルコミュージアムで開催中の「かないくん展」へ行ってまいりました!

かないくん展 死ぬとどうなるの。「ほぼ日」の死と生の展覧会

2014年5月16日〜6月2日
10時〜21時 (入場は閉場の30分前まで。最終日は18時閉場)
パルコミュージアム(渋谷パルコパート1 3F)

入場料 一般500円 学生400円 小学生以下無料
主催 パルコ
会場デザイン 祖父江慎(コズフィッシュ)
企画制作 東京糸井重里事務所

 

『かないくん』とは

「死ぬとどうなるの?」をテーマに、谷川俊太郎さんが一夜で綴り、松本大洋さんが二年かけて描き、糸井重里さんが監修し、祖父江慎さんが装丁した絵本──それが『かないくん』です。展覧会に先立つ2014年1月に発売され、最近では大きな書店だと目立つところにポスターが貼ってあるなど、かなりプッシュされています。 

かないくん (ほぼにちの絵本)

かないくん (ほぼにちの絵本)

 

ストーリーは、語り手である“ぼく”の小学校の同級生である“かないくん”が、学校を休み、そのまま亡くなって……人生で初めて触れた「死」について、“ぼく”が何を考えたか……といった内容です。ちなみにわたしは本は全く読まず、作者2人のお名前および「死」がテーマ、という前知識のみで展覧会を訪れました。

 

わたしが全く馴染めなかった理由

これだけあちこちで絶賛されている中すごく言いづらいのですが、正直とても残念だったのです…! おそらくその理由は、わたしがちょっとしたタナトフォビア(死恐怖症)を抱えているからでしょう。タナトフォビアとは、簡単に言うと「死」が怖くてたまらないという症状ですが、この症状の人は「死」による痛みや悲しみというよりも、むしろ「何もない」、つまり無という状態の不可解さを恐れています。たぶん、タナトフォビアの人たちは(自分がそうであるように)、天国と地獄の存在や、輪廻転生という考え方を信じていません。だからこそ「人が死んだら魂はどこに行くのか?」を考えた時に、「どこにもいかない」という結論に達して、その不可解さに恐怖心を抱くわけです。先日の記事(一瞬の中の真実の愛/宮沢賢治「シグナルとシグナレス」)でも書きましたが、わたしは自己愛が強いタイプなので、なおさらそう思ってしまうのかもしれません。

 

「死」への感じた方についての方向性

『かないくん』および「かないくん展」では、死に対してわたし、およびわたしたちのように恐怖心を抱く人のことは範疇外でした。

「みんな、いつか必ずやってくる家族や自分自身の死への恐怖とどう向き合うのか?」あるいは「どう折り合いをつけて運命を受け入れるのか?」ということを知りたくて行ったわたしにとって、満足のいく答えが何一つなかったのが、残念だったのです…!

これまで一度も「死」を自分自身のものとして、あるいは身近なものとして考えたことのない人にとっては、とても良い展覧会だったと思います。入ってすぐの黒板には、老若男女さまざまな人たちが自ら思う「死」のイメージが書かれ、さらにインタビューされる形で動画が流れていました。これから何年、何十年もの時を重ねていくであろう幼い少年少女から、もしかしたら“その日”が明日かもしれない老人まで、実にさまざま。他人の考える「死」のイメージから、はたして自分は何を考えるか…? といったことを自問自答するには、とても良い機会であったと思います。

 

(葵)の思う「死」

わたしにとって「死」とは、わたしだけでなく、わたしを含むこの世界のありとあらゆるすべてのものの死です。死ねば、自分より先に亡くなった家族に会える、なんて微塵も思いません。先立った死者さえも、わたしが死んだらそれで「無」です。なぜならこの世界のすべてのものがわたしの主観で成り立つ幻想に過ぎないからです。そういう意味で、今回の「かないくん展」以上に、わたしの「死」への感性との親和性を強く感じたのは先日発売された中村うさぎの著書『死からの生還』でした。

死からの生還

死からの生還

 

 本当の死は、唐突に世界が消え失せるだけのことだと思う。そもそも、我々がリアルだと信じている「世界」なんてもの自体が、脳内で勝手に作り上げた「主観」という名の幻想に過ぎないからだ。本物の世界なんて、この世には存在しない。あるのは「私の主観=世界」という歪んだ妄想だけだ。(中略)我々にとって最も確実なことは、「いつか死ぬ」ということである。我々は毎日毎日を「死」に向かって歩き続けている。富める者にも貧しき者にも賢い者にも愚かな者にも、「死」だけは平等に訪れる。それが「生きる」ということだ。メメント・モリ(死を想え)……この言葉を、我々は常に胸に刻んでおかなくてはならない。(中村うさぎ著『死からの生還』「まえがき」より引用)

わたしは、この「まえがき」がとても好きです。けっきょくのところ、「死」を自分のものとして考えた時に、スピリチュアルだったりオカルトだったり宗教的だったりではない考えというのが、わたしにはうまく飲み込めないのだろうと思います。

 

死への恐怖を笑い飛ばして欲しかった

今年御年82歳となる谷川俊太郎氏は、(もちろん、今日や明日にだって何が起こるか分からない時分とはいえ)現在23歳のわたしよりも「死」に近いところにおられるのは間違いありません。わたしは谷川俊太郎さんの詩が好きで、『二十億光年の孤独』から『トロムソコラージュ』まで、彼の代表作品となる書籍は割と手に入れている方だと思っていますが、わたしよりも「死」に近いところにおられる谷川さんが、わたしの抱いている遠い未来の「死」への恐怖心を笑い飛ばしてくれるような何かを期待していたのです。この期待がわたしの勝手なものとは承知していますが、「死」について何かを表現するということは、「死」に関心のない人以上に、「死」を恐れて何か(例えば宗教やドラッグなんかに…)に依存してしまうような人たちを救ってくれるようなものであって欲しかったという希望が、どうしても芽生えてしまったのですよねー…。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

 

というところで、谷川俊太郎さんのデビュー作『二十億光年の孤独』について。

本当に、本っ当〜に、高校生から大学生にかけての情緒不安定にして万年厨二病のわたしにとっての救いとなった詩でありました…!「万有引力とは/引き合う孤独の力である」なんて、大人になった今でも復唱して泣けます。号泣です。

 

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