北十字とプリオシン海岸

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ブシツが与えてくれたもの

大学時代に所属してた文芸サークルの先輩が、トニ・モリスンの『ビラヴド』をテーマに読書会を主宰されたので参加してきました。

対象作品が通知されたのは3週間ほど前だったにもかかわらず、ここしばらく多忙だったため、ほとんど読まずに臨んだら、まー議論についていけなかったので、次回のフォークナーは少なくともテキストを一通り読むことはしていきます。反省。とりあえずアメリカ南部 メキシコ、コロンビアにかけての死生観とか、マジック・リアリズムという手法に関しては、わたし自身がかなり不勉強なこともあってかあまり馴染めなかったですね。魅力はかなり感じるし、読み続けたらはまりそうな気はするんですけども。

 

ところで、わたしの大学時代は、客観的に言うとあまり充実していたとは言い難いものでした。基本的にものぐさでゴロゴロすることが好きなので、常にだらだらしていたような気がします。バイトもいくつかやったけど長続きしなかったしな。まあ、ほうけた大学生活ではありましたが、充実していないからといって、決して退屈だったというわけではありません。わたしの大学時代を彩ったものの一つが文芸サークルで、6畳の狭い部室で我々は実のない議論を交わしては無為に時間を過ごしたものです。その楽しかったこと、楽しかったこと!

その実のない議論のテーマの一つに「マヤ暦地球滅亡説の2012年12月21日に何が起こるか?」がありました。確かその前の週が卒論提出の〆切だったので「一週間早く滅亡しねーかな」と、この時期わたしは口癖のように言っていましたね。懐かしい。もちろん誰も地球が滅亡するなどと思ってはないですが、これだけいろいろ騒がれて何もないというのも寂しいなあ、ということで…。

 

「2012年12月21日地球は滅亡しないけど、何か起こるとしたら何がいい?」

他の部員が何と言ったかはあまり覚えていませんが、わたしは世界がちょっとだけ変化していたら面白いなーと思いました。それこそ死者と生者がナチュラルに交感する世界になってたり、もしくはもっと微小な変化でもいいですね。「昨日まで右回りだった水道の蛇口が左回りになった気がする」とか。なんの前触れもなく、ある日突然、そういう風に、意味があるのかないのかわからない変化が起こっていたら面白いのになーと。昨日と今日とがそれぞれ別の世界で、昨日までの世界は「滅亡」し、今生きてる自分が新しい世界の「新人類」で、そのことに自分だけが気づいてる、という妄想です。

わたしが部室で考えたり、部員と話したりしていた事柄はこういうことばかりでした。他に盛り上がったのは「小中高生のいずれかの時代に、テロリストが学校を占拠する妄想をしたことがあるか?」だったかしら。「現実はそうじゃないけど、あなたは(わたしは)どんな世界を想像するか?」というようなことをしょっちゅう会話していた気がします。そういう意味で、部室はわたしにとって想像力の源泉でした。あの空間での対話を通じて、わたしはわたしの(内的な)世界を構築しようと試みていたのだと思います。(おたくっぽいけど、おたくだから良いのだ!)

 

久々に参加した読書会で実感したのは、「わたしは部室をなくした」ということです。現実的なことから遠く離れた妄想をすっかりしなくなっているなー、と。何だか少しずつ、自分の奥底にある何かから遠ざかっていくような感じですね。しんみり。ただ、わたしはわたしのブシツを、せめて心の中には持っていたいなーと思った日曜日でした。

 

ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

 

 

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