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人生を変えた本といえば/上田敏翻訳詩集「海潮音」

よく「人生に影響を与えた本」とか「特に思い入れのある本」について話をする機会がありますが(え、別にないって?)、間違いなくわたしの人生を変えた一冊は上田敏(1874~1916)の翻訳したヨーロッパの訳詩集『海潮音』です。最も有名なのは「山のあなたの空遠く/幸(さいはひ)住むと人のいふ」のあれでしょうか。もしくは「秋の日の/ ヰ゛オロンの/ためいきの/ひたぶるに/身にしみて/うら悲し」ですね。(「ヰ゛オロン」って何やねん)(※バイオリンのことです) 著作権切れなので、青空文庫Kindle(無料)でご覧になればいいかと。

海潮音

海潮音

 

忘れもしない、センター試験を目前に控えた2008年の10月。 高校卒業後にやりたいことも特になく、勉強したいことも大してなかったけれど、とりあえず大学生にはなりたい、と漠然と思っていた18歳の頃です。広いネットの海で、「やまのあなた」の詩に出会ったのです。以下、引用。

山のあなた   カアル・ブッセ

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。

=「山の向こうに『幸』があると人が言うので行ってみたところ、誰もそんなものは知らないので、『幸』なんてないのだ、と涙ながらに家に戻った。一方で、山の向こう側でも、山の向こうに『幸』があると、人は言っている」

解釈はいくつかあるようですが、「幸せはごく身近にあるが、なかなか自分ではそれに気がつかない(いつか気づく日が来るかもしれない)」と『青い鳥』のような読まれ方が多いですね。超余談ですが、わたしは「幸せはごく身近にあったんだ!(=今の自分は幸せだったんだ!)」という気づきこそが「幸」であるという考え方にはあまり同調できなかったりします。どちらかというと「幸」というのは追求し続けた先の先に獲得すべきもの、極端なことを言うと「幸」を求めない人は、決して幸せになれないんじゃないかと。早い話が「求めよ、さらば与えられん」ということですね。キリスト教じゃないけど。だから、この詩はわたしにとってはとても悲しい詩です。「幸」を求めて山の向こうまで行ったのに、そこに「幸」はなかったのだもの。希望を抱いて旅をした少年(なんでか少年だと決め付けている)は、何を思いながら故郷へ帰ったのだろうかと想像すると切なすぎます。

長くなりましたが、つまりわたしは「山のあなた」を読んだ時「たった6行の詩がこんなにも胸を締め付けるなんて!」と、ものすごい衝撃を受けたのです。

 

この『海潮音』をきっかけに、少女(葵)は大学受験のくそ忙しい時期にも関わらずあれこれ詩を読み始めます。堀口大學の『月下の一群』とか、宮沢賢治の『春と修羅』とか、現代だと谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』とか…あと詩ではないけどアンデルセンの『絵のない絵本』とか、はまったな~。読書が好きな人にとってはメジャーすぎる作品ではありますが、当時文学というものに目覚めたばかりの頭空っぽのjkだった自分にとっては胸を打つものばかりだったのです。 

そんなわけで大学も文学部へ進学したのですから、もしも『海潮音』に出会わなかったら……わたしは外国語を学んでいたかもしれないし(もともと外国語学部志望だった)、もしかしたらそもそも東京に出ていなかったかもしれないのです。そしたら、また別の出会いもあったのでしょうが、少なくともその人生を進んだ自分は今の自分とは違う人間なのだろうと思うと、やはり『海潮音』がわたしにとって「人生を変えた本」といえる唯一のものだと実感します。

 

と、こんな雨が降る日になんとなく『言葉なき恋唄』(ヴェルレーヌ作・堀口大學訳)の「巷に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる/かくも心ににじみ入る/このかなしみは何やらん?/やるせなき心のために/おお、雨の歌よ!」を連想し、一人で晩酌しながらメロウな気持ちを味わったものだから、思い出してしまいました。詩をいくつか覚えておくと、なんでもない時に自分の気分を調整しては特に意味もなく満足できるので、おすすめです。人生がちょっと豊かになります。まあ、詩に導かれて文学を専攻したのに、詩への見識がこの程度でいいのか? という気持ちもしなくはないですが、文学なんてそんなものでいいのだと思います。

訳詩集 月下の一群 (岩波文庫)

訳詩集 月下の一群 (岩波文庫)

 

 

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