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人生は泡のよう/「ムード・インディゴ うたかたの日々」の“不思議”な世界観の楽しみ方

飯田橋ギンレイホールにて、現在「ムード・インディゴ うたかたの日々」のディレクターズカット版と、「ビフォア・ミッドナイト」の二本立て上映をやっていたので観てきました!


映画『ムード・インディゴ うたかたの日々』予告編 - YouTube

 

これがまあとてもミシェル・ゴンドリー的というか、ものすごく“不思議”な世界観なので、なかなか観る人を選ぶ映画だと思います。わたしは「うたかたの日々」の世界観がわりと好きなのですが、130分のディレクターズカット版だと、それでもけっこうむせそうでした。たぶん90分ちょいに再編集したという「インターナショナル版」だともうちょい楽しめたのかもしれません。ちなみにインターナショナル版とは、恋愛部分に焦点を当てた構成になっており、その分“不思議”感は抑えられているとのこと。

 

「うたかたの日々」の世界観とは

まず簡単に「うたかたの日々」について。本作はフランスの作家ボリス・ヴィアンが書いた1947年に発表した小説が原作です。あらすじですが、お金持ちの道楽青年コランが、彼の友人で作家パルトル狂いのシックと、シックの恋人アリーズとのつきあいを通じて、クロエという女性と恋に落ち、結婚。しかしクロエの肺に睡蓮のつぼみが咲き、彼女は病に臥せ――というストーリー。この小説、シュールというかたいへんファンタジーちっく、SFちっくな、なんとも不思議な作品です。「肺に睡蓮が咲く」のはもちろん、例えば物語冒頭では、洗面所の水道管からうなぎが出てきたり、そのうなぎを歯磨きペースト(パイン味)でおびき出して殺したり、さらにパテにして食べちゃったりといった具合に。でも、そんな不条理なことが次から次に、ごくごく自然に起こるところが、とても魅力的なんです。この辺の“不思議”さは、皆大好きな『アメリ』のジュネ監督作品や、『ムーンライズ・キングダム』のウェス・アンダーソン監督作品と通じるところがある気がします。

 

日本での「うたかたの日々」受容

日本では、新潮文庫、ハヤカワepi文庫、光文社古典新訳文庫から本が出ています。その他、岡崎京子がマンガ化した『うたかたの日々』。そして永瀬正敏ともさかりえ主演の映画『クロエ』があります。

 

1)マンガ・岡崎京子『うたかたの日々』(宝島社)

で、日本でまず『うたかたの日々』に触れるとすると、小説か映画かマンガという3つのパターンがあるわけですが、実はわたしはマンガからでした。

うたかたの日々

うたかたの日々

 

岡崎京子は本当に余白やコマ割やセリフ使いで雰囲気を作るのがうまいので、恋人たちの喜びや悲しみが痛いくらい胸に刺さります。一方で、原作の“不思議”なものたちはほとんど描写されていません。演奏に合わせて様々な味のカクテルを創りだす「カクテル・ピアノ」や、架空のダンス「ビグルモア」など。描写されても文字のみ、といった部分も多いです。まあその分岡崎版『うたかたの日々』は悲劇的な恋愛マンガとしての完成度は高いのですが、「カクテル・ピアノ」や「ビグルモア」なしで『うたかたの日々』と言えるか!という読者はいそうな気がします。

 

2)映画・利重剛監督『クロエ』(2001年公開)

次にわたしが触れたのは永瀬正敏ともさかりえ主演の映画『クロエ』(監・利重剛/2001年)でした。これはクロエの「胸に睡蓮が咲く」以外のファンタジー要素を一切排除しています。また、金持ちの道楽青年コランがプラネタリウムで働く職員になっているなどといった改変があります。

クロエ デラックス版 [DVD]

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画像が出なくて残念…。そしてゴメンなさいなのですが、実はこの映画、途中で離脱しました…。なんというか主な登場人物4人の「自分たちだけ幸せならそれでいい」っていう排他的な空気がものすごく漂っていたんですよね。だからこそクロエが不治の病に冒された時の悲しみが深くもあるのですが…。あとは、“不思議”要素がほとんどないので、「恋愛映画として楽しめないなら世界観を楽しめばいいじゃない」ってわけにもいかなかったのも、途中離脱の要因です。

 

3)小説『日々の泡』『うたかたの日々』(新潮社/光文社/早川書房

そしてその次がようやく小説ですね。3本出ている内の新潮文庫を選んだ理由は、単純に一番値段が安くてすぐに手に入ったからで、特に翻訳にこだわって購入したわけではないです。

日々の泡 (新潮文庫)

日々の泡 (新潮文庫)

 

当然ですが、「カクテル・ピアノ」や「ビグルモア」 をはじめ、とにかく“不思議”なことが次々に起こり、いちいち描写がくどかったりします。例えばコランがシックとアリーズとの待ち合わせているスケートリンクを訪れたシーンはこのとおり。

コランはシックとアリーズがスケートリンクの向う側に姿を現したのを目にとめた。合図してみても二人は気がつかぬので、会いにいこうとしてコランはスケート遊びの人たちの渦の中に飛びこんだが、渦の流れは計算に入れていなかったのだ。だからたちまち彼の動きと正面衝突して、ものすごいかずの人波がせきとめられ、そこへあとからあとへと人間どもが滑り寄ってきてぶつかると、死物狂いで手や足や肩や、あるいは躯全体でもがきながら、先に倒れた連中の上に崩れ落ちてきた。

(中略)清掃係員は山のような遭難者の中にはバラバラになった個体のおもしろくもない切れっぱししか見つからぬので落胆しながら、事故死者全員の後始末にゴムほうきを担ぎだしてきているのだった。そして屑落しの溝穴へほうりこみに掛かりつつ、一七〇九年にヴァイアン=クチュリエが作ったというモリトール・スケートリンク頌歌をうたうのだった。

(24P10行目~25P11行目)

え、こんな簡単に人が死んじゃうの? そしてこんなに扱いが雑なものなの? って感じですが、本当にこんなことばかり次々に起こるのです。なので読者は想像力と忍耐を試されます。わたしは予めマンガでストーリーを把握していたため、本編に関わらないところは雰囲気を楽しむ程度に読むことができましたが、本から入る人はけっこう苦心しそうです。

 

まとめ

というわけで、『うたかたの日々』を楽しむなら、まずは岡崎京子のマンガを読んでみるか、観ていないのにアレですが映画『ムードインディゴ~うたかたの日々~(インターナショナル版)』を観ることをおすすめします。そしてその“不思議”な世界観にハマりそうだと感じたら、原作本と映画のディレクターズカット版、とするのが良いかと。『クロエ』は……うーん、先入観なしで見たらもっと楽しめたのかな~…どうだろう…。ちなみにですが、マンガと映画だったら、映画の方がまだ割と救いがあります。マンガは原作に沿って、最後の悲劇まで描ききっていますが、映画はその手前で終えています。わたしはその最後の悲劇が大好きだったので、映画で描かれなかったのは残念でしたが、それはそれで美しかったです!

それにしても、なんでこんなに日本で翻訳・翻案されているんでしょうね。あまり根拠はないですが、フランスの“官能”感覚レベルと日本のそれはけっこう近いのかな。川端康成の『美しさと哀しみと』や、小川洋子の『薬指の標本』もフランスでえろち~っくに映画化されているし。

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